ずっと探していた生きづらさの原因や理由は、ネットには落ちてなかった
「生きづらい自分」を説明できないまま生きてきた
気づいたときには、もう長いあいだ「被害妄想が激しい自分」と一緒に生きていました。
目の前の人が自分のことを嫌っているとしか思えない。
会話のあとに反省会が止まらない。
自分が嫌いで、自信がなくて、他人の言葉ひとつで心が揺れる。
「どうにかしたい」と思って、何度も検索しました。
「生きづらい 原因」「自分に自信がない」「嫌われている気がする」。
けれど出てきたのは、「毒親」「アダルトチルドレン」など、どこかピンとこない言葉ばかり。
私の生きづらさを、そのまま言語化してくれる記事には出会えませんでした。
“ネットには落ちていない”──そんな感覚が強く残りました。
検索しても見つからない「自分の生きづらさ」
あるとき、「認知のゆがみを直すと生きやすくなる」という記事を見つけて、トレーニングを始めました。
たしかに正しいし、理にかなっている。
でも、頭の中が常にフル稼働している私には、思考を無理やり別方向に向ける作業が想像以上に苦しかった。
意識のすべてをコントロールしようとすることが、もう一つの疲労を生み出していきました。
頑張っても、生きづらいまま。
どうしてなのか、わからないままでした。
「それはADHDやからやで」と言われた日のこと
その頃、通院していたメンタルクリニックで、思い切ってこのことを相談してみました。
先生は穏やかに言いました。
「それはADHDやからやで」
思ってもいなかった方向から放たれたその言葉に、身体の力が抜けるような感覚がありました。
そのあと、夫に話したときも「うん、出会った頃からそう思ってたよ」と言われて、さらに驚きました。
先生も、夫も、私のことを“そういう特性を持つ人”として静かに見ていてくれたこと。
でも私は、ずっと自分を“欠陥”だと思っていた。
その事実に、胸の奥がじんわりと熱くなったのを覚えています。
RSDという“説明のつく生きづらさ”に出会って
帰ってから、ADHDやRSD(拒絶感受性障害)について調べました。
「人からの拒絶や批判に過敏に反応してしまう」──まさに、私そのものでした。
長いあいだ“性格の問題”だと思って責めていた部分が、実は脳の特性によるものだと知って、
ようやくひとつのピースがはまったような気がしました。
「家庭環境のせい」ではなかったという救い
そのとき、もうひとつ気づいたことがありました。
私は「毒親育ちではない」と頭ではわかっていたけれど、心のどこかでは
「母や妹に嫌われていたのかもしれない」「家庭環境のせいかもしれない」と感じていました。
でも調べていくうちに、それが全く違うことを知ったのです。
「私は誰からも嫌われてなかったんだ」
「家庭環境じゃなくて、脳の仕様のせいだったんだ」
そう理解できた瞬間、堰を切ったように涙があふれました。
長いあいだ背負ってきた「誰かのせい」「私のせい」という思考がほどけて、
初めて自分を許せた気がしました。
薬と理解がくれた“静かな救い”
薬を飲むようになってから、劇的に何かが変わったわけではありません。
でも、明らかに違うのは、「空回りしている」という感覚が減ったこと。
仕事での小さな失敗にも、いちいち自分を罰するような気持ちは薄れていきました。
反省会の回数が減り、静かに過ごせる時間が増え、圧倒的に「ひとにやさしく」なっていきました。
もっと早く知りたかった。
同じように、自分を責めながら生きている人がいるなら、
その人にも「知ることで救われる瞬間」があるかもしれない。
だから、こうして言葉にしています。
検索ではなく、体験の中にしか答えはない
“生きづらさの原因”は、ネットのどこかに落ちている情報じゃない。
あなた自身の体験や感覚の中にしか、答えはないのかもしれません。
でも、それを探しながら生きていること自体が、ちゃんと「生きている」ということだと思うのです。
そして、これは私自身にも向けた言葉です。
私は今、「ADHD1年生」として、新しい人生を歩きはじめたばかりです。
まだうまくいかない日もあるし、これからも失敗すると思います。
でも、ようやく自分の取扱説明書を手に入れたような気がして、
世界が少しだけ優しく見えるようになりました。
もし今、あなたも「なんでこんなに生きづらいんだろう」と感じているなら、
その問いを持ち続けているあなたは、もうすでに、自分の人生に誠実で優しい人です。
どうか、焦らないで。
あなたの中にある“まだ言葉になっていない何か”が、いつか静かに形を持つ日がきます。
そのときまで、一緒にこの世界で呼吸していきましょう。
