はじめに

恋愛のことを振り返るのは、正直少し勇気がいる。
でも、あのときの失敗のひとつひとつが、
「自分の特性」とどう向き合うかを教えてくれたように思う。

INFJの共感性、ADHDの衝動性、そして気分の波。
これらは全部、私の中に共存していて、
恋愛という“人との距離の近い関係”の中でいちばん強く現れていた。

今になってようやく、
「なぜあの恋愛はうまくいかなかったのか」
「どうして今の夫とは安定して暮らせているのか」
その構造が少しずつ見えるようになってきた。

恋愛で表れやすいINFJ・ADHD・気分の波

INFJの場合

INFJは、人の気持ちにとても敏感で、恋愛になると“自分のこと”より“相手のこと”が最優先になりやすい。
相手が疲れていれば自分の時間を削ってでも支えようとするし、相手が不機嫌そうだと、自分が何か悪いことをしたのかと反省してしまう。

その結果、気づけば「自分の感情」より「相手の状態」を管理するようになってしまう。
恋愛というより、相手の人生の“サポート役”にまわってしまうのだ。

さらに、相手の気持ちを“察しよう”としすぎて、まだ起きていないことまで先回りして考えてしまう。
「言わなくてもわかるようにしたい」と思うほど、
相手はむしろ“距離を詰められている”ように感じてしまうこともある。

本当は誰よりも相手を大切に思っているのに、
その思いやりが空回りして、関係を疲れさせてしまう。
INFJの恋愛の難しさは、まさにこの“過剰な共感”にあると思う。

ADHDの場合

ADHDの衝動性は、恋愛でも顔を出す。
思い立ったらすぐ行動してしまったり、その時の気分で一気に距離を詰めたり離したりしてしまう。
頭では分かっていても、「今この瞬間の不安」を埋めることを優先してしまうのだ。

「寂しい」と感じた瞬間に誰かに連絡してしまう。
「もう無理」と思った瞬間に関係を終わらせたくなる。
感情の揺れがそのまま行動に出ることで、関係が落ち着く前に壊れてしまうことが多かった。

気分の波

気分の波があると、「好き」の気持ちが強い日と、「一人になりたい」気持ちが出る日が交互にくる。
良いときはとことん尽くせるけれど、落ちるとすべてが嫌になってしまう。

この揺れを相手が理解できないと、「気まぐれ」「情緒不安定」と受け取られてしまう。
本当は、自分でもどうにもできない波の一部なのに。

過去の恋愛で見えてきた「私の失敗パターン」

(1) 相手主導で始まる恋愛

中学から大学にかけて、恋愛はいつも“告白された側”だった。
好きと言われると、「断るのは悪いかも」と思ってしまって、自分の気持ちがよく分からないまま関係を始めてしまう。

恋愛は、自分が選んで付き合うものだという感覚は、当時まだなかった。だから、相手に気持ちを合わせ続けるうちに、「自分は本当はどうしたいんだろう」とわからなくなっていった。

(2) 感情の波で関係を壊す

大学時代、信頼できる恋人と出会った。
就活を支え合いながら、「この人と結婚するのかな」と思うほど穏やかだった。
でも1年半を過ぎた頃から、気分の波が大きくなり、「別れたい」と何度も口にしてしまった。

本気で別れたかったわけではないのに、感情が高ぶると、思考より言葉が先に出てしまう。
そのたびに相手は困っていたと思う。
「好きなのに」——あの感覚は、自分の中の不安定さを相手のせいにしていたからこそ、起きていたのかもしれない。

(3) 外的条件に安心を求めた恋愛

社会人になってからは、“理想の条件”を満たす人に惹かれた。
家柄、仕事、見た目、箸の持ち方——全部が完璧な人と付き合い、「今度こそ、安心できる恋愛と結婚ができる」と思っていた。

でも、相手の仕事がうまくいかなくなった時期、私は自分の孤独を埋めようとして、元恋人に連絡をしてしまった。
会うことはなかったけれど、その行動で信頼は一瞬で崩れた。
「不安を他の誰かで埋めようとする」
これが、私が最も繰り返してきた失敗だった。

(4) 助けることで繋がろうとする恋愛

次の恋愛では、「今度こそ相手と真剣に向き合おう」と決めた。
気持ちを隠さず、素直に伝えるようにした。
でも、相手が依存的なタイプで、気づけば私は“支える側”に回っていた。

彼が落ち込むと、私の気分まで引っ張られる。
いつのまにか、私のエネルギーが尽きてしまっていた。
優しさで繋がる関係は美しいけれど、支えることが“義務”になった瞬間に、関係は歪む。

(5) 対等でない関係への拒絶

最後の恋愛では、相手からのマウント的な言葉に強い違和感を覚えた。
「態度が悪い」と注意された時、もうこの先も同じ関係が続く気がしなくなった。
そのとき初めて、“愛される”より、“尊重される”ことのほうが大事だと気づいた。

現在の夫との関係における変化

受け止められるだけでなく、共に考えられる関係

夫とは職場の先輩として出会った。
年齢が同じで、最初はただ頼りになる人という印象だった。
けれど、私の気分の波や考えすぎる性格を話したとき、
彼は驚いたり否定したりせず、最初から知っているかのように扱ってくれた。
「変えよう」とするのではなく、「そういう人」として受け止めてくれた。

晩ご飯の献立を考えることにストレスを感じていたときも、
「じゃあ週末に一緒に献立を決めようか」と提案してくれた。
“理解してくれる人”ではなく、“一緒に仕組みを作れる人”になってくれた。
この違いが、私にとってはとても大きかった。

気分の波を責められない安心感

私が動けないときも、無理に励ましたりはしない。
「そのうち動けるようになるよ」と言って、ただ待ってくれる。
その受け止め方が、私の中の「焦り」を減らしてくれた。

イライラしてしまったときも、「どうしてほしい?」と聞いてくれる。
怒りをぶつけられるのではなく、
“どうしたら今を楽にできるか”を一緒に探してくれる。
こうした小さな関わりの積み重ねが、私にとっての“安定”をつくっている。

条件ではなく、日常の穏やかさを軸に

昔は「どんな人と付き合うか」にこだわっていたけれど、
今は「どんな日々を過ごすか」がいちばん大事になった。
何もせず、二人でゴロゴロしている時間がいちばん落ち着く。
その沈黙の中に、言葉を超えた安心がある。

まとめ

過去の恋愛を通して見えてきたのは、
私はずっと「理解されたい」と思っていたけれど、
本当に必要だったのは、「共に考えてくれる人」だったということ。

恋愛の安定は、感情の波がなくなることではない。
揺れを一緒に見つめてくれる人がいること、

そして、自分の揺れを隠さずに見せられる関係を作ること。

INFJの共感力も、ADHDの衝動も、気分の波も、
相手によっては“めんどうな特性”に見えるかもしれない。
でも、それを「一緒に扱える関係」ができたとき、
それは“深く愛する力”に変わるのだと思う。